風化させないためにも東日本大震災から5年たった今、あの日を振り返る

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東日本大震災から5年

今日はこんなブログが多くなりそうだけど、風化させてはいけないことだからお付き合いください。
まだまだ復興には程遠くて、離れて暮らしていると記憶がどんどん薄らいでいってしまうのは怖いことです。

http://www.bousai.metro.tokyo.jp/kitaku_portal/1000672/1001370.html

地震発生の瞬間

当時は品川で働いていて地震が発生した時間は自分の机と言うか、フリーアドレスだったのでその日の自分のエリアで仕事していました。

余りの揺れの大きさにみんなあたふたとしていたけど、取り敢えず避難しなくていけないと体が勝手に反応してビルの外に一斉に避難しました。

会社は第一京浜沿いにあって遠くには東京タワーが見えていたのですが、肉眼でもその先端がいつもとは違う方に曲がってしまっていたのは有名な話。
数ヵ月後には綺麗にまっすぐな東京タワーに戻っていましたけど。

携帯のワンセグでニュースを見てみると様々な報道がされていたけど、お台場で火災が発生しているニュースがやたらと今でも頭から離れないですね。
なんでだろ?

帰宅困難者になりました

結局、山手線まで止まってしまって、自宅までは遥か遠くて25km程あるため、いわゆる帰宅困難者になったわけなんですが、幸いにも家族は友人の結婚式と言うことで西の方の実家に帰っていたので被害なし。
自宅には誰もいない状況だったから、無理して慌てて帰る必要もないので会社に泊まることを早々に決めました。

夜になっても電車は動かず、目の前の第一京浜は車のライトがひたすら長く伸びていました。
実家の両親と連絡が取れたのもこの頃で東京駅付近に会社のあったオヤジは歩いて帰宅しているらしく驚いた。
20kmくらいあるかな?

65歳が歩ききるにはちょっと長過ぎる距離だったようで最終的には膝が痛くなり途中の避難所で夜を明かす事になりました。
そんなオヤジは数年後に原発の仕事をしに福島に何回か行ったようで理由を聞くと前途ある若い人がやる仕事じゃないからと言うことでした。

帰宅チャレンジ

相変わらずニュースでは東北の津波被害と福島の原発のことが何十回、何百回と報じられていましたが、どうしても目の前の自分達の事で手一杯でした。
昼過ぎに会社からの帰宅を試みて品川駅に向かうも全然だめで白金高輪駅まで歩いて電車にのりましたが、迂回の連続でいつもの5倍くらいの時間がかかって帰宅できました。

そう言えば今は閉店してしまった日本亭でいつもの唐揚げ弁当買って帰った。
今思うとよく営業していたなと思いますね。
ドキドキしながら自宅をチェックするも物が落ちて壊れるくらいの被害しかなく割と普通で一安心。

それから半月くらいは計画停電だのスーパーから物がなくなるだのガソリンスタンドが休業するなど非常に生活し辛い状態だったので実家に帰っていた家族はGW頃まで帰ってきませんでした。

福島の友人

幸いにも知り合いで亡くなった人はいなかったのですが、帰宅困難区域に家がある友人は今でも避難生活中。
ただ仕事柄、福島県内をあちこち行っているようでかなり大変そうである。

3年位前のいわきサンシャインマラソンの出たときにタイミングよく会うことができて元気そうだったけどあれからまた随分と時間が空いてしまったから来年はまたいわきサンシャインマラソンでも走りに福島行こうかな。

帰宅困難者になったら

東京都のHPにすごく便利なハンドブックが用意してあります。
帰宅困難者対策ハンドブック

www.bousai.metro.tokyo.jp

この機会に一度見ておくといいかもですね。




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